物心ついた頃から私は、自分はなぜ生きるのか、死んだらどうなるのか、そんなことばかり考えていました。
他人より自分ばかりが不幸と思えるのはなぜか、どうして物事がうまく運ばないのか、どうして思い通りに生きることが出来ないのか、じくじたる思いを胸に谷底より深く悩みました。
そんな問いを繰り返し、絶望の果てに気付いたことは、私は自分の問いに対する答えに耳を貸していなかったということです。 答えはいつも私に明示されていました。私に向けて、いつも送られていたのです。私はただ、それに気付かなかっただけでした。目に見えるものではないうえ、あまりにも近すぎたため気付けなかったのです。まるで、我々の周りの空気や、魚の周りの水のように。
悟りはどこか遠いところにあるのではなく、足下にあるのです。
簡単に言ってしまえば、悟りとは、ただ、思い出すことです。
私たちは、記憶を消してこの世へと来ました。
重要なことに気付いてしまったり、バグが発生した際は、再度記憶を消しています(睡眠中)。
誰もが必ず到達する地点へ、先に辿り着いただけであり、だからと言って自慢してもしようがありません。
否定され、けなされ、馬鹿にされ、変人扱いされるのがオチです。
なぜならこの世に生きている皆、わざと記憶を消して人生ゲームを楽しんでいるからです。
せっかく記憶を消してスリルを味わっているのに、「これは夢、幻なんだよ。そんな苦しいこと、早くやめなよ」と、水をさすわけですから、中には怒る人がいても仕方ありません。
この文章を読んでいるあなたは、苦労や悲しみ、迷いを体験し、人生の意味を探している途中、このサイトへ辿り着いたことでしょう。
私は、このサイト運営に関しても、思考(エゴ)は一切使っていません。
ちなみに普段の生活は思考(エゴ)まみれで苦労してます(汗)。
ですが、この世の秘密を知っているので、焦点がよほどブレなければ、さほど苦しみません。
このまま己の欲望を満たし、残りの人生、この世を満喫することも可能です。
ではなぜ、己の時間を割き、批判を押してまで、あの世を説くかと申しますと、それこそが私の使命、導き、生の目的だからです。
真実は、生の大目的などございません。
私やあなた、生や死、この世とあの世などの概念も、本来の意味においては無理があるたとえかもしれませんが、それでも私は、今現在、苦しみ悲しみの最中で、生きる目的を見失っている方々を救うために、こうして「神様」からのメッセージをお届けしているのです。
答えを与えてくれる存在を、「愛」「宇宙」「生命」などと表現することも出来ますが、私はこれらを総称して「神様」と表現しています。
私は慈恩保と申します。
あの世の教えを説き、真実へと導く案内人です。
本当はのんびり好きなことをやって、ぐうたら暮らしていきたいのですが、ブラフマン(創造者、本来の私)の導きで、こうしてあなたへメッセージをお届けしています。
楽しみながら、ゆっくりと、マイペースで人生の意味を紐解いていって下さい。
苦しみ悲しみからの解放の日は、望めば必ず近いうちに訪れます。