私の職場に、何と、死んだはずの伯父が瞬時に出現したのです。
もちろんそれは、私以外には見えない存在としてです。
丁度その日は夜勤であり、私は立ちながら、机の上で手作業をしていました。
たまたまその時は、何も考えずにボーっとしていたり、逆に考え事をしていたり、誰かと夢中になって喋りながらでもできる仕事でしたし、私の近くには誰もおらず、一人作業をしていたので好都合だったのです。
私の斜め上の辺りに姿を現わした伯父は、私に向かってこう言います。
「みんな、応援してるよ」と。
すると次の瞬間、随分と前に死んだ祖父が現れました。
祖父が亡くなる時、私はだいぶ人生に悩んでいました。まだ20代半ばでした。
亡くなる前の祖父は、病院の先生や看護師、祖母や私の母が薄気味悪がるほど、何でもお見通し。
透視能力が凄いと噂でした。
なので私は、祖父に心を見透かされて説教をされるのを極度に恐れ、お見舞いに行けずにいたのです。
不甲斐ない自分の性格は、痛いくらい自分で分かっていたからです。
でも、そんな祖父が、最近、お迎えが来てるとの噂を聞き、私は衝動に駆られました。
じいちゃんが死んじゃう!
会うなら、今しかない!
私の知っている人はみんな、お迎えを見たと話した一週間以内に死んでいたからです。
私は意を決して祖父のお見舞いに行きました。でも、お互いに無言状態がずっと続きました。
ベッドに横たわり、ずっと天井を見上げる祖父。椅子に座り、ずっとうつむく私。
私は勇気を振り絞り、本当の気持ちを祖父に話しました。
「じいちゃん、僕、本当は怖いんだ。世の中が」
すると祖父は、
「俺がお前くらい若かったら、このくらいでっかい病院の一つや二つ、建てちまうんだけどな」
と言いました。
私はしばらくしてから、
「うん、分かった! 僕、やってみるよ! でっかいこと、やってみるよ!」
そう言いました。
すると祖父はすぐ、どこか残念そうに、
「おめえには、できねえ」
と言うのです。
それが私が子どもの頃からずっと大好きだったおじいちゃんの、孫に残す最後の言葉だったら、凄く寂しくない?と、私は思いました。
そんな私の心が見透かされたのでしょうか。
次の瞬間、片目をギョロリとむき出し、むっくり上半身を起こした祖父は、私をギッと睨んだのです。
そして、
「行けえ!」
と私を怒鳴りつけました。
私は急いでその場を後にしました。
それが祖父との最期の別れになりました。
その祖父が、今まさに私のもとに姿を現わしてくれたのです。
祖父は言います。
「おめえには、できる」
祖父は、今のお前なら、できると言うのです。
私は強く、感動しました。
祖父の姿はすぐに消え、また、伯父の姿が見えました。
伯父は言います。
「辛い時は、お父さんの闘病生活を思い出すんだ」と。
その伯父の言葉は、私の胸に響きました。
父は二年以上、苦しい闘病生活を送りました。
壮絶な苦しみを私も間近で見ました。
筋骨隆々、健康マニア、風邪一つひかなかった屈強な父親が癌になり、じわじわと弱ってしまい、いつしかハサミで紙すら切れなくなったのです。
どんなに辛くても、そうした姿は私たちには決して見せず、いつも平気そうな顔をしていましたが、私は父親のかげの努力を知っています。
その姿は、私の心に、深く深く、刻まれています。
私が苦しい時は、父の頑張ってる姿を思い出そうと、私は強く思いました。
すると今度は、祖母の姿が見えました。
祖母は脳溢血で倒れ、その後は下半身不随で車椅子生活を施設で送りました。そして、そのまま施設で亡くなりました。
祖母と会話をするのは本当に久しぶりでもあります。
祖母はニッコリと微笑むと、
「大丈夫だ」
と、優しい言葉を掛けてくれました。
私が今まさに辛い日々を送っていることを、祖母はちゃんと分かってくれているようです。
私が安らぎに包まれていると、祖母の姿がすうっと消え、今度は父親の姿がすうっと現れたのです。
まさに私のすぐ近くに。
父親は、
「あっちの競馬場で勝ったら、こっちに送金してやる」
と、満面の笑みで言うのです。
あっちとは、天国のことです。
天国の競馬場は、こっちの世界の競馬場より、かなり広いというのです。
そして、あっちで競馬で勝ったお金を、こっちに送る。そういうことが、向こうのはからいで、できるというのです。
それは伯父がテレパシーで教えてくれました。
ゆっくりと時間を掛けて理解するのではなく、その言葉や言葉の意味というのを、瞬時に一瞬で理解する感じです。
私は一秒ほどで、「ふうん」といった感じで理解していました。